ロックンロール依存症

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鬼滅は時代に消費されてしまった(ネタバレなし)

みなさん、鬼滅の刃を見ていますかな?

聞いたところによるとアニメは列車編の前までらしく、そう聞くと毎週ジャンプを3冊も買ってまでアンケートを出していたあの頃が懐かしく感じられました。それと同時に鬼滅の最終回もジャンプで読み終わり、少しモヤモヤした気持ちが湧いてきたので記事にする事にしました。

ここから先は自分の愚痴混じりの記事が始まることを警告します。読みたい人はそのままどうぞ。










連載一話から読み始め、単行本の3巻辺りからこの漫画の面白さを確信したあの時。それ以降毎週3冊もジャンプを買い、センターカラーの回は切り抜きまでして集めていました。

初期の頃はセンターカラーなど滅多に無く、打ち切り候補の一つだった。その分ファン同士の結束力は厚くそれが一つの自分の居場所にもなっていました。

そんな鬼滅が2019年頃からメディアの猛プッシュで押されに押され、ここまでの現象になるとは夢にも思わなかった事でした。


そう、2018年の中頃から違和感は感じていました。あまりにも世間の評判と作品の質が反比例してしまっていたのです。

元々作者の吾峠呼世晴氏はお世辞にも絵が上手い漫画家とは言えませんでした。

読者である自分自身もこれから絵は上達するだろうから焦る必要は無い。長い目で成長を見守っていこう。そう思いながら毎週ジャンプのページをめくっていました。

しかしそんな思いとは裏腹に2018年頃から絵が荒れだしているのをひしひしと感じるようになっていきました。

戦闘も冗長になり、それにもかかわらず展開だけはやたらと駆け足になっていき、明らかに数名の柱(鬼殺隊上層部)のキャラクターのバックグラウンドの掘り下げが不十分であるにもかかわらず、物語はラストに向かい沈没寸前の暴走船のように進んでいく。あまりにも歪な物語になって行くのをこの時に気づいたのです。

しかし世間はこの漫画を時代の象徴のように神格化し、祭り上げました。無理もありません。東京オリンピックが迫っており。日本らしさを前面に押し出した鬼滅の刃が民衆に受けないわけが無いのです。

だとしてもあまりにそれは作者への重圧へとなったことは容易に想像がつきます。

第1巻の湿った空気感の鬼滅を覚えている人は少し違和感を感じるのではないでしょうか。

初期の鬼滅と今の鬼滅は明らかに似ても似つかないものになっている。(絵柄や世界観)や

無理やり少年漫画チックな物にされ、不自然極まりないものになっている。(1巻から順番に読むと、初期は技にギミックがあり頭脳戦に近かったが、最新の戦いに近くなると強い技の単純なぶつけ合いが多い。途中からギャグの頻度が増え、クドくなる)など

その上最終回への不自然な駆け足の展開は見ていてとても不安で暗澹とした気持ちにさせらました。一体どんな事情でそんな急ピッチで物語が進んだのかは分かりませんが、読者からしてもタダごとではない事は分かり、ラスボス戦突入当時から自分の周囲でも騒がれてはいました。

そして迎えた最終回。悪くはなかった。

でも一巻から読み返してみるとどうでしょう?やはり不自然です。無理矢理伏線を回収している箇所はあるし、必要があるかもわからない描写だらけであり、蛇足感も感じます。

やはり鬼滅は時代に消費されてしまったと感じてしまいました。メディアの猛プッシュは続いていますが、これから先の時代、鬼滅の刃が良い最終回を迎えたと言われるビジョンがとても思い浮かばないというのが正直な感想です

もちろんラスボス戦も含めて最後まで戦闘シーンや敵キャラは魅力的なものが多かった。ただ、圧倒的に不自然で物語としてのカタルシスに欠けるのもまた事実。

鬼滅の刃の連載が終わった事で鬼滅ロスなどという言葉が囁かれ始めていますが、今ごろメディアや出版社は第二の鬼滅を血眼で探していることでしょう。

次はチェンソーマンか?それとも呪術廻戦か?同じような事にならないように祈るばかりです。


悲しくなったので、ここらで愚痴混じりの記事を書くのは終わりにしようと思います。

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では