ロックンロール依存症

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長渕剛と民謡と90年代後半の邦楽

今回の記事は日本フォークロックの重鎮、長渕剛の90年代後半の活動について書いていこうと思います。 

皆さんは長渕剛さんにどんなイメージをお持ちですか?

僕は彼の楽曲を一言で表すなら「人間賛歌」だと思います。

彼の楽曲は基本的に人間の全てを肯定する優しさと厳しさに満ち溢れています。

 

それではまず長渕剛さんの経歴から書いていこうと思います

1976年に雨の嵐山でヤマハポピュラーコンテストにて入賞を果たし、一度デビュー

しかし演歌歌手として売り出された為不満を持って一度故郷の九州へ帰郷

その後1978年にシングル巡恋歌で再びデビュー

以降今現在まで長い期間精力的に活動を行いその独特かつ繊細な詩世界でファンを増やし続けています

 

そんな長渕剛さんなんですが世間一般でいうと80年代後半から90年代初頭のとんぼ〜RUNの頃のイメージが強いように思います。事実バラエティ番組などで長渕ネタが使われる時は決まってとんぼかRUNの時期を意識したものが多いです。

 

そんな現状がある長渕剛界隈ですが実は長渕剛の詩世界や音楽性の本質が現れているのは90年代後半の頃なのでは?と私は常々思うのです。

その理由を今から簡単に書き連ねていこうと思うのですがそれを書くにあたって長渕剛の長いキャリアにおけるニつの転換期について言及しようと思います。

 

まず一つ目はスタジアムロックへの接近からの挫折そしてフォークへの原点回帰

 

長渕剛は当初フォーク歌手として活動をスタートさせ順子、乾杯などのヒット曲を次々に出していきましたがアイドルの石野真子と離婚してから徐々に低迷していきAKBで有名な秋元康に作詞を任せた曲なども増えていきます。

そんな状況を打破しようと長渕はHold Your Last Chanceというアルバムからスタジアムロックに接近します。

何本もライブを重ね喉はしわがれ、現在の長渕の歌唱スタイルはこの頃に形成されていきますが、次のアルバムHUNGRYのツアーの途中で無理が祟ったのか途中でダウン

その後本人は鬱状態に陥りましたが自身のルーツであるフォークに原点回帰し、その頃の心境を綴った私小説的アルバムSTAY DREAMが評論家、大衆共に評価されカリスマ的人気を獲得します。 

これが長渕剛の第一の転換期であり、この事により彼の詩世界はより内省的かつシニカルになって行きます。しかしこの時点ではまだ一つの哲学としての人間賛歌の要素は薄く、どちらかというと長渕剛のフィジカルな質感が全面に出てる印象が強い(この路線は後にドラマとんぼ〜RUNに継承されて行くこととなる)

その後ヤクザドラマ「とんぼ」にて主演を務めチンピラキャラが板につきます

これにより長渕=ヤクザ、怖いというイメージが定着 この時の印象が良くも悪くも強いのでその後もバラエティなどでイジられる事になる 

この様に長渕剛は逆境に陥っても不死鳥の如く蘇ることも特徴のアーティストです。

 

二つ目の転換期は宗教への傾倒と二度目の原点回帰

 

母親の病状が悪化し治療薬の影響によってアルツハイマーを発症した事により彼の精神状態は悪化。宗教や哲学に傾倒し民族音楽風のアルバムCaptain of the shipを発表しますが桑田佳祐の書いた詩に纏わる騒動や不倫問題や事務所スタッフの資金持ち逃げが起き、最後には大麻取締法違反で逮捕される事となります

要するに周りの人間に裏切りに裏切られた訳です。

これが二つ目の転換期ですその後のアルバムから今回の記事で語る90年代後半のアルバムとなります

ではその後の90年代後半のアルバムについて語っていきましょう

 

1.家族(1996)

 

前作のCaptain of the shipから実に3年ぶりにリリースされたアルバム

二度目の原点回帰を果たしたアルバムであり、前述したように周りの人間に裏切られた怒りと悲しみが全面に出たアルバムです。

このアルバムで特筆すべき事は民謡からの引用と共同体の一部としての人間の在り方でしょう。

このアルバムで長渕は日本という共同体を深く意識するようになります。それは同時に家族であり裏切った仲間のいた会社組織でもあります。

「信頼という言葉達が浮き足立って逃げていく」

「誠実という言葉達がこの国では利用にすげ替わる」と歌詞が綴られており

基本的に裏切られた怒りが全面に出ていますが、それも最終的には「白地に赤い日の丸 やっぱりこの国を愛しているのだ」と肯定してしまう懐の深さがあります。

明日という曲は下駄占いの民謡からの引用であり明日を占う事でしか希望を持てない心情を隠喩的に表現している。ここでも日本という国の文化が意識されています。

この作品では裏切られたとしても所詮は自分は共同体の一部(国や家族も含めた)でしか無い。自分はその1人の人間としての詩を表現していこうという哲学を誇示したアルバムです。

 

2.ふざけんじゃねぇ(1997)

 

荒々しいタイトルとは裏腹に初期の曲調に通ずる世界感を持つアルバム

特に先行シングルのひまわりなどの民謡的なキャッチーさを全面に押し出した曲があるのも特徴。

このアルバムのテーマの一つに戦後の復興というテーマがあります。坂本九上を向いて歩こうのカバーも収録されており、やはりここでも日本人である事への意識が如実に現れています。

金色に輝け50年では戦後50年の節目を歌にしています

 

3.SAMURAI

 

民謡的な遊び心が身を結んだ意欲作。

全体的にクセが強く初心者には勧めづらい作品ではあるが、「どつぼにはまってどっぴんしゃ」や「でんでん虫」などで民謡をメインストリームに押し出そうとした実験精神は特筆に値します。

90年代後半の当時、この頃の長渕ほど民謡を実験的に取り入れて日本人のためのロックを追求していたミュージシャンはいなかったのでは無いだろうか? 当時の邦楽は洋楽の影響が良くも悪くも強く日本人が原点に帰るという意識があまり無かったように感じます。

演歌的なゆかしさすら感じる本作でありますが、非常に実験精神に富んでいて90年代後半の長渕剛を象徴する名盤です。

 

ここまでバーっと書いていきましたが今現在の長渕剛を形成する要素はトンボも含め様々な物がありますが、90年代後半の作品も今現在の彼の骨格を作った意欲作ばかりで非常に聞き応えがあります。長渕剛にとんぼやRUNのイメージしかないという方も聴けば先入観を打ち破られる事と思います。

私は個人的に家族というアルバムをフェイバリットとしています。この頃の詩は追い詰められた時に非常に優しく寄り添ってくれます。

それでは