CDレビュー第一弾 vaundy strobo レビュー
こんにちは。やたら指を怪我するので絆創膏が足りなくなってますが、なんとか生命は維持しています。
今回は彗星の如く現れた弾き語りミュージシャンVaundyの1stアルバムstroboをレビューしていこうと思います。
まずはジャケット
シンプルながらも色彩の温かみが前面に出ていてなんだか不思議な印象ですね。
右下のspace showerのロゴでサチモスと同じ事務所という事がわかります。
続いてCD
すごくシンプル。例えるならご飯と豆腐だけの朝食みたいな。簡素だけど無駄がないです。センスが光っています✨取り出す面が裏になってるので傷つけないよう要注意です💀
歌詞カードを試しにペラペラめくると何やら謎のページが、、、
不可幸力とsoramimiの間のページ。
ストロボってタイトルなんで携帯のフラッシュを当ててみても何も起こらず、、、透かしてみても何をやってみても変化なし。仕掛けを知ってる人がいたらコッソリ教えてください🙇♂️
では早速内容を解説していきましょう。
track1.Audio 001
カセットテープで録音されたと思われるSE。曲を書いてるペンの音や街の雑踏、オーブントースターのベルの音ローファイな雰囲気
track2.灯火
本来ならとうかと読みますが、この曲の場合はともしびと読みます。アコースティックギターの音色が前面に出ていて優しい雰囲気。最初はアコギの音だけですが、途中転調を挟んでサンプリングされたドラムの音やいろんな音が混じってとても楽しげな曲です。
track3.東京フラッシュ
本アルバムの中核となる曲。それだけあってアルバムの中でも出色の出来。曲調とかかなりサチモスっぽいけど二番煎じにならない為にかなりアレンジに気を使ってます。サビ前に4回ウィスパーボイスで曲がトーンダウンするんですが、これが結構チルい(ヒップホップ用語で落ち着く)感じでかっこいいんですよね。サビで一気にグルーヴィーになるんですが、コーラスが気怠い雰囲気を引きずっててリラックスして聴ける曲なんですよね。これだけでもみんなに聞いて欲しい。そんな曲です。
track4.怪獣の花唄
弾き語りミュージシャンとしてのルーツを感じる曲。しかしなぜ怪獣なんだろう?
track5.lifehack
イヤホンをしてるとイントロでシンセサイザーの音が交互に聴こえてきます。ギターフレーズは単純ですが優しい感じの歌です。
track6.不可幸力
ここでアルバムは少しダークな方向に向かいます。歌詞から物凄い怒りを感じますが、最後は愛に帰結するという皮肉な歌です。毒に満ちた歌い方がGOOD💀
track7.soramimi
何故か人気が高い曲ですが、最初聞いた時に「あれ?このEDM +ロックな雰囲気セカオワじゃね」って調べたら似た曲が出てきましたorz
https://m.youtube.com/watch?v=LAYOfGLeEZY
https://m.youtube.com/watch?v=Jh_0EW6G3gQ
上がセカオワ下がVaundy
うーん、、、たしかにやり過ぎかもしれない。もう少しサウンドに捻りを加えたら良かったかもしれませんが、無理にリズムに乗ってる感じもしてあまり好きでは無い曲。このアルバムに捨て曲があるとしたらこれかなぁ。やっぱりVaundyはギターを弾いてた方がかっこいい。
track8.Audio002
ここでダークな雰囲気を一掃するかのようにSEが挟まる。電車の音とピアノの音が鳴っていて何だか物憂げ。
track9.napoli
なんだかゴスペルっぽくて、Vaundyの声の良さが際立つ曲。曲の最後は録音中の会話と笑い声でブレイクするのでこのアルバムがローファイを意識したものという事がわかる。
track10.僕は今日も
Vaundyのミュージシャンとしてのルーツや意気込みの詰まった一曲。「愉快な日々だと暗示をして、不協和音が聞こえてきた。抑えてるだけじゃそう辛くて、だからこの気持ちを弾き語るよ。」
弾き語りミュージシャンとしてのルーツを大事にしながらも苦悩するVaundyの姿が垣間見える一節。この歌詞がこのアルバムのコンセプトをより明確な物にしています。
track11.bye by me
アルバム最後を飾るナンバー。この曲とんでもなく切ない。なんといっても歌詞が逆トイストーリーなんです。おもちゃにお帰り、でももういいよ。と言われてしまうのです。とってもアイロニカルなんですが、ギターフレーズは優しいし、打楽器はコンガで、間奏で鳴り響くトライアングルも可愛いです。最後はドラムの大胆なブレイクで締める潔さも素晴らしい曲。アコースティックな印象を決定付けています。
総合評価★★★★☆
一通り聞いてみた感想は1stでこれは末恐ろしいということ。
たしかにオリジナリティーにかけるところはありますが、彼はまだ19歳。これから確立していけばいいことです。
何より彼の才能は既にあるものをアレンジする才能です。東京フラッシュなんかはシティポップ界隈ではよくあるコード進行ですが、ギターロック的なアプローチでそれをやるというのは意外と無かったんじゃなかったでしょうか?
それとこのアルバムにはpainという曲が収録曲の候補に上がっていたんですが、恐らくかなり重い内容の曲なので収録を見送ったのでしょう。正しい判断です。このアルバムはジャケットのピンクの色彩のように優しくあるべきなのです。そういった点から見てこのアルバムは非常に優しく、生身の体温があります。本当に恐ろしい才能です。
Vaundy、その最新式のストロボでどんな未来を写してくれるのでしょうか?その才能を羨まずにはいられません。次のアルバムも楽しみにしています。
では皆さんもstrobo 一家に一枚いかがですか?
人の自殺を責めるな
5月も終わりに差しかかってる中、いたましい事件がテレビ番組を発端にして起こってしまった。
リアリティ番組テラスハウスに出演していたプロレスラーの木村花さんがSNSの誹謗中傷に耐えかね、自ら命を断ってしまいました。
まず初めに木村花さんとそのご家族の皆さんには哀悼の意を捧げます。
この事件をきっかけに政府がネット上の誹謗中傷を規制する動きがあるなど、大きな社会的反響が起きています。
そんな中、誹謗中傷をした人をまた中傷する憎悪のループや死して尚、木村花さんを中傷するコメントなどもあり、なんとも嫌な気分にさせられるニュースです。
芸能人もこの件について言及しており、プロレス好きのケンドーコバヤシさんは将来有望だった才能の損失を嘆く発言をしています。
そんな中ダウンタウンの松本人志さんが木村花さんの自殺を責めるような発言をし、賛否を呼んでいます。
内容はざっくり説明するとこう。
「みんないじめだなんやかんや言ってるけど、一番悪いのは自殺すること。なんでみんなかわいそうかわいそうばかり言って、自殺することが悪いことだと言わないんだ。」というもの。
賛同するコメントとしては
親から貰った命を大切にしないのはダメ
死ぬのを正当化したらダメ
自殺が美学となってしまうのが怖い
否定的なコメントは
自殺をしなければメディアが取り上げてくれないという社会的背景がある
なぜ死にたい時に死ねないのか
松本さんは精神的に追い詰められてないからそんな事が言える
などです。
まず前提として自殺や死は絶対に正当化してはならないものですし、それが美学となってしまうのは言語道断。社会全体で食い止めなければなりません。
その上で自論を述べさせてもらいます。まず人の自殺を責めないで欲しいと言いたいです。
なぜ自殺を責めたり否定してはいけないのか、まず自殺を責める人が存在していることは仕方がないことです。それは個人の思想の自由ですし問題はありません。
ただ、そういった考えの人が増えすぎると心が弱い人は社会に圧力を感じて生きづらくなってしまう恐れがあるという事。
二つ目は自殺をしなければならない理由があった社会的背景について考えなければならないという事。
順を追って説明しましょう。まずなぜ自殺を否定することが行きづらさに繋がるのか。それは死にたいという感情は理屈では説明できない問題が絡んでいる点です。
自殺志願者というのは常に心に重い重しがかかっているような状態で、どんなにポジティブな言葉をかけてもそれはただの重圧になってしまいます。その例として心が弱ってる状態で自己啓発書を読むとうつ病になりやすいというものがあります。
うつ病にかかっている人にとって否定するというのはいわば劇薬を飲ませるようなものであり、否定するよりもその人をある程度受け入れてあげるのが大切です。(自分自身うつ病にかかった時に同じ症状であり、これまで出会ったうつ病経験者にも同じ傾向が見られた)
極端な例かもしれませんが、20年以上前に完全自殺マニュアルという本が流行りました。この本の本質は自殺を推奨するものではなく、いざとなったら自殺しまってもいいと思えば、苦しい日常も生きていけるというもの。「強く生きろ」という日本社会の風潮に異議を唱えたもので、実際この本によって生きようと思い直した人も多かった。事実ブームとなった年とその翌年の2年間において自殺者は減少しているというデータもあります。
なので自殺は悪いことだと頭ごなしに否定する事は心の弱っている人には多くの場合逆効果である事が多いです。
ならばどうしたらいいか?まず「死んだらダメ」の類いの言葉は絶対にかけない事を心がけて下さい。
その上で一度自殺という話から離れて、その人の考えに共感してあげましょう。人間は話をしているだけで気が紛れるものです。逆に肯定されて嫌な人間なんていません(僕の知る限りでは)。
休日は一緒にドライブや症状が改善されてきたら得意な事や趣味を一緒に手伝うなど言葉以外のコミュニケーションも大事です。
まずは相手のことを考えて何よりもその人やその人の行動を否定するような言動をしないように心がける事が重要です。
二つ目の自殺をしなければならなかった社会背景について考慮しなければならない事については、まず今の日本社会は自己責任論が強くなかなか助けを求めても手を差し伸べられづらいという点があります。今回の件もリアリティ番組という仕事の枠組みの中で不利な仕事を与えられた。テレビ局という大きな会社が企画した事なので不満があっても声を上げづらく、何より嫌な役を演じさせられたので何をやっても信用されないという大きなハンディキャップがあるという点。木村花さんが自殺しか道がなかったとは言い切れませんが、こんな常軌を逸した状況下、正常な判断力を失ってしまう事は容易に考えられます。
そんな中でも花さんは何かを訴えたくて行動を起こしたはずです。上の意見でもあったように自殺でもしないとメディアは報道してくれない。そういった側面が確かにあります。民衆はネガティブなニュースが大好きです。インパクトのある事をしないと自分の意思が伝わらない。だから最後の力を振り絞り自ら命を断つ事で社会に問題提起をした。
だからこそ彼女の死を無駄にしてはいけません。事実、これからの糧として最大限に活かすべきではないでしょうか?そうでなければあまりに花さんが報われません。
「あなたの死は無駄ではなかった」と言ってあげるべきではないでしょうか?
僕はそう思います。そして何よりもこのブログを読んでる皆さんにもそう思って欲しい。無駄にしないで欲しい。そう願っています。
生きることは押し付ける事では無く、その人それぞれに意味があるはずです。
親より先に死ぬ事が罪という言葉は若くして死んでしまった人への一人の人間としての尊重が足りないように思います。
何よりも憎しみの連鎖や同じようなことが起こらないように一人一人が努力することが最も大切です。
一刻も早く悲しいニュースが減るように日々願っています。
藤井風、意外と大したことねぇんじゃないのって話(レビュー)
少し挑発的なタイトルになってしまいました。藤井風の新アルバムHELP EVER HURT NEVERを聴き終わりました。
通して聞いてみた感想は悪くなかったです。
ピアノアレンジは上手いし全体的に聴きやすいサウンドに仕上がってると感じました。
ただ、何処かで聴いたことあるな…
誰かに似てるな…
そう感じてしまいました。
確かにSNSを意識した曲作りやYouTubeを活用したプロモーションなど、音楽ビジネスのモデルとしては新しい存在でしょう。
しかし曲自体には真新しさは0。寧ろ個性をあまり感じず、期待して聴いてみたら拍子抜けしてしまいました。
歌声は米津玄師だし、サウンドや詩世界の特徴は星野源そのまんま。
幼い頃から英才教育を受けた天才というキャラクターだけが一人歩きしている印象。
自己プロモーションとしては大成功ですが、実際その日常の何気なさを唄った歌詞やR&Bサウンドは二番煎じであり、このままいけばポスト米津玄師の一発屋になってしまう可能性は否定できません。
何よりアルバムとしての完成度は高いですが、その反面、一曲一曲にインパクトの残るフレーズが無く、どれも同じ曲に聴こえてしまいました。
唯一良かったのは最後の曲、帰ろうのストリングス。あれは最高でした。
何はともあれ目が離せないアーティストではあるので今後も注視は続けていこうと思います。
では
鬼滅は時代に消費されてしまった(ネタバレなし)
みなさん、鬼滅の刃を見ていますかな?
聞いたところによるとアニメは列車編の前までらしく、そう聞くと毎週ジャンプを3冊も買ってまでアンケートを出していたあの頃が懐かしく感じられました。それと同時に鬼滅の最終回もジャンプで読み終わり、少しモヤモヤした気持ちが湧いてきたので記事にする事にしました。
ここから先は自分の愚痴混じりの記事が始まることを警告します。読みたい人はそのままどうぞ。
連載一話から読み始め、単行本の3巻辺りからこの漫画の面白さを確信したあの時。それ以降毎週3冊もジャンプを買い、センターカラーの回は切り抜きまでして集めていました。
初期の頃はセンターカラーなど滅多に無く、打ち切り候補の一つだった。その分ファン同士の結束力は厚くそれが一つの自分の居場所にもなっていました。
そんな鬼滅が2019年頃からメディアの猛プッシュで押されに押され、ここまでの現象になるとは夢にも思わなかった事でした。
そう、2018年の中頃から違和感は感じていました。あまりにも世間の評判と作品の質が反比例してしまっていたのです。
元々作者の吾峠呼世晴氏はお世辞にも絵が上手い漫画家とは言えませんでした。
読者である自分自身もこれから絵は上達するだろうから焦る必要は無い。長い目で成長を見守っていこう。そう思いながら毎週ジャンプのページをめくっていました。
しかしそんな思いとは裏腹に2018年頃から絵が荒れだしているのをひしひしと感じるようになっていきました。
戦闘も冗長になり、それにもかかわらず展開だけはやたらと駆け足になっていき、明らかに数名の柱(鬼殺隊上層部)のキャラクターのバックグラウンドの掘り下げが不十分であるにもかかわらず、物語はラストに向かい沈没寸前の暴走船のように進んでいく。あまりにも歪な物語になって行くのをこの時に気づいたのです。
しかし世間はこの漫画を時代の象徴のように神格化し、祭り上げました。無理もありません。東京オリンピックが迫っており。日本らしさを前面に押し出した鬼滅の刃が民衆に受けないわけが無いのです。
だとしてもあまりにそれは作者への重圧へとなったことは容易に想像がつきます。
第1巻の湿った空気感の鬼滅を覚えている人は少し違和感を感じるのではないでしょうか。
初期の鬼滅と今の鬼滅は明らかに似ても似つかないものになっている。(絵柄や世界観)や
無理やり少年漫画チックな物にされ、不自然極まりないものになっている。(1巻から順番に読むと、初期は技にギミックがあり頭脳戦に近かったが、最新の戦いに近くなると強い技の単純なぶつけ合いが多い。途中からギャグの頻度が増え、クドくなる)など
その上最終回への不自然な駆け足の展開は見ていてとても不安で暗澹とした気持ちにさせらました。一体どんな事情でそんな急ピッチで物語が進んだのかは分かりませんが、読者からしてもタダごとではない事は分かり、ラスボス戦突入当時から自分の周囲でも騒がれてはいました。
そして迎えた最終回。悪くはなかった。
でも一巻から読み返してみるとどうでしょう?やはり不自然です。無理矢理伏線を回収している箇所はあるし、必要があるかもわからない描写だらけであり、蛇足感も感じます。
やはり鬼滅は時代に消費されてしまったと感じてしまいました。メディアの猛プッシュは続いていますが、これから先の時代、鬼滅の刃が良い最終回を迎えたと言われるビジョンがとても思い浮かばないというのが正直な感想です。
もちろんラスボス戦も含めて最後まで戦闘シーンや敵キャラは魅力的なものが多かった。ただ、圧倒的に不自然で物語としてのカタルシスに欠けるのもまた事実。
鬼滅の刃の連載が終わった事で鬼滅ロスなどという言葉が囁かれ始めていますが、今ごろメディアや出版社は第二の鬼滅を血眼で探していることでしょう。
次はチェンソーマンか?それとも呪術廻戦か?同じような事にならないように祈るばかりです。
悲しくなったので、ここらで愚痴混じりの記事を書くのは終わりにしようと思います。
では
king gnuが好きな人もそうでない人もmillenium paradeを聴くべき3つの理由
みなさん、おうち時間いかがお過ごしでしょうか?そもそも田舎の人はおうちですごすより農作業や林業に携わっている人も多いでしょう。本当に日本を支える為に汗を流してくれてありがとうございます。
おうちで時間を過ごしているみなさん、Netflixは見ていますか?僕はまだ契約できていません。
遂にNetflixで攻殻機動隊が配信スタートしましたね。主人公の女の子が個人的に凄くタイプです。
主題歌はking gnuの常田大希氏のプロジェクトmillenium parade(ミレニアムパレード)のfly with me
https://m.youtube.com/watch?v=fuXZMQAD9vU
最初聴いてみた時は誰が歌っているのか分からないのでミステリアスな曲だなーって思ってましたが、何回も聴いているうちにking gnuの飛行艇にも似た高揚感が僕を急襲しました。
歌詞も暗喩的ですが超ポジティブ、気分がブチ上がります。
巷ではking gnuはかなりの話題になっていますが、millenium paradeが話題になっている事は案外少ないように感じます。そこで今回はking gnuが好きな人、好きでない興味がないって人にもmillenium paradeを視聴して欲しいのでmillenium paradeを視聴すべき三つの理由を記事にしようと思います。
millenium paradeを視聴すべき一つ目の理由
常田大希氏の二つ目の人格を覗ける。
元々常田大希氏はking gnuを結成する前に音楽大学でチェロを専攻しており、大学を中退してからsrv vinciというバンドでアバンギャルドな音楽を表現していました。
https://m.youtube.com/watch?v=6QQoZW0SOnI
king gnuとしてもカバーされたabukuという曲です。
洋楽を幼少期から聴き、radiohead やgorillazといったロックやポップスの型にはまらないグループから影響を受けたと公言していた常田氏、
「サビなんてダセえ」これは昔の常田氏本人の発言でした。それは全て洋楽からの影響であり、上の動画の曲もkid a期のradioheadの様に単調なエレクトロニカ風のリズムに常田大希氏の気怠いボーカルがひらひらと舞い降りた羽毛のように乗っかる。
(そうサビなんて全然無いのです。)
しかしなんとしても自身のバンドをBIGにしたかった常田氏は2010年台後半、飛ぶ鳥を落とす勢いだった天才ボカロシンガー米津玄師氏に相談を持ちかけます。
「サビが無きゃ日本じゃ売れないよ」
カリスマ米津氏、ハッキリこう言い放ってしまったのです。衝撃を受けてしまったであろう常田氏、新たに立ち上げたking gnuというバンドをJ-POPをやる為のバンドにしようと意気込みます。しかしただのJ-POPでは無くミクスチャーロックの要素も交え、なんとサビを二つも一つの楽曲に入れてしまいました。
そして大ヒットしたアルバムceremonyとド級の名曲、白日が産まれました。
https://m.youtube.com/watch?v=ony539T074w
しかし常田大希氏の尊敬するradioheadのトムヨークもそうであった様に成功には常に重圧が伴います。名盤と言われているceremonyの製作中、多忙を極めていたking gnuと常田氏は本来ならOKを出さないような作品を出し、半ば鬱状態に陥っており、紅白は解散するつもりで出ていたんだとか。
そんな状況下J-POPとしてのバンドのking gnuとアバンギャルドな自分との間に折り合いをつけようと常田氏は考えていました。
バンドではできない事をやりたい。その思いがmillenium parade結成のきっかけでした。
バンドでは出来ない事をやるという名の通り固定のメンバーはおらず、様々なクリエイターやアーティストを巻き込んだ一大プロジェクトになります。しかも音楽以外の面での力の入れ具合がハンパじゃありません。
https://m.youtube.com/watch?v=TSrXH_WMDUY
こちらの映像を見てもらうとわかると思いますが、音楽が無くても映像作品として成り立つ様なアニメーションと映像のクオリティがあり、もはや音楽というより総合芸術といえる作品だと思います。
このようにmillenium paradeというグループにはバンドマンとしての常田大希ではなく映像作家の常田氏という芸術家としての一面を覗かせるグループという魅力があります。
millenium paradeを視聴すべき二つ目の理由
歴史から学んでいる非常に聡明なグループであるという事実
先程常田氏が影響を受けたグループにgorillazというグループの名を挙げましたが実はこのグループのフロントマンの正体は90年代にヒットを飛ばしたバンド、blurのVo.デーモンアルバーン氏と同一人物なのです。そもそもblurというバンドはイギリス国内のポップバンドという立ち位置でしたが、紆余曲折あり2003年に解散してしまいます。デーモン氏は2001年に立ち上げたソロプロジェクトgorillazを本格始動させます。そのプロジェクトはblurの時代には得られなかったアメリカでの人気を獲得する事になりますが、何より革新的だったのがグループのメンバーを架空のアニメキャラクターのバンドにした事です。
下はgorillazの19-2000という曲
https://m.youtube.com/watch?v=WXR-bCF5dbM
単調なリズムでサビもどこなのか分からないですが、初めて見た人はキャラクターに目が行くのでどんなに単調なリズムと曲調だったとしても一つの作品として成立してしまう。
millenium paradeの曲も単調な曲に気怠いボーカルの物も多いですが、映像という表現の一部なので気にならず世界観に入り込めるという魅力を持っています。
そうmillenium paradeもgorillazもミュージシャンでは無いのです。彼らの作る楽曲は一つの作品の中の一部に過ぎません。millenium paradeは一つの映像作品、gorillazはアニメーション作品でありもはやバンドという枠組みどころかミュージシャンとしての枠組みも超えたグループと言えます。
常田氏はJ-POPバンドとしての自分と表現者としての自分を両立させる為に徹底的に歴史から学んだのです。
「愚者は経験から学ぶ、賢者は歴史から学ぶ」の言葉通り常田氏とmillenium paradeは聖人賢者と言えるグループで間違い無いと考えて良いでしょう。
彼らは間違いなくブレイクが出来る素質があり、そして柔軟さもあるグループです。
millenium paradeを視聴すべき三つ目の理由
徹底されたファンタジーの世界観が美しい
最初にmillenium paradeを聴く人は全編が英語の歌詞の為、とっつきにくいような印象を抱く事が多いかもしれません。私も最初はそうでした。しかししっかりと日本語の字幕も付いているので映画のような感覚で楽しめます。
英語の歌詞である事にも理由があります。先程書いたように映像作品としてmillenium paradeの作品は成り立っているのですが、その一つの映像作品として非現実感を演出する為に全編英語の歌詞となっています。millenium paradeで取り扱う映像作品は非現実的かつシュールでファンタジックな物が多いです。
もしシンデレラが現実に現れて普通に日本語を喋っていたらどうでしょう?一気にその女性がシンデレラであるという説得力が無くなってしまいます。
このようにmillenium paradeはファンタジーの世界を守る為に全編英語歌詞にしていると見て間違いないと思います。こうして見るとking gnuとは正反対の性質を持ったグループと言えるでしょう。king gnuは井口理という等身大の男が実社会の苦しみやジレンマを歌いあげる非常にリアルな世界観であるのに対しmillenium paradeはいったいどんな顔の人間が歌っているのかも想像がつかず、歌詞も暗喩的で難解です。正にファンタジー作品としての世界観を確立しています。
という感じでいかがでしたか?
king gnuと正反対のグループではありますが、ちゃんとポップな常田節が聴ける曲もあり、なかなか面白いです。
まだ5曲しか曲を出していないのでking gnuを全て聴くよりも追いやすいと思うので是非みなさんにも聴いて欲しいです。
それでは
Netflixにかいいんとーろっく♪
機械音痴は生き地獄
みなさんいかがお過ごしでしょうか?テレビはコロナコロナ、糞食らえですそんなもの。
メキシコのビールの話は置いておいて最近機械に触れることが多いのですが、僕は機械の説明書を読むのも設定をするのも嫌いなので買ってから1日でイライラしてぶっ壊してしまうことが多いです。seikoの目覚まし時計なんてこの通り。
はい液晶をぶち割ってしまいました。機械は人間を助ける存在のはずが僕には敵に見えてしまうのです。まさにレイジアゲインストザマシーンでございます。僕はビースティのが好きですハイ。
そんなことよりこのブログを書くのにもかなりのストレスがかかりましたハイ。画像がエラーで一回アップ出来なくて画面に肘打ちしそうになりました。
そんな人間の書くブログです。よろしくお願いします🥺
イライラしてばっかじゃいけないので楽しいことを書いていきます。